上の写真、よく見てみるとタイヤが上がっています、カーキチのゆうさんも実は知らなかったのですが、この車は空荷の時ダンパーの力で必要の無いタイヤを持ち上げ、路面との摩擦を減らし、省燃費を実現しているのです、もちろんタイヤの磨耗も減らせます、すごいアイデアだと思いません?
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とうとう今日、待望のメダルが日本選手の手に入りましたね、本当におめでとうございます。
さて、今オリンピックでは競技に入る前にちょっとした騒動で、話題になりました、もちろんゆうさんの周りでも賛否両論、いろいろ好き勝手に皆が騒いで居りました。
ある選手の服装の乱れ問題です。
ここでその賛否について書くつもりはありません、ただ、その騒いでいる連中(私も含めてですが)に面白い傾向がありました。
じつは、今回の主人公に対して、擁護派にはおっちゃん、おばちゃんが多く、若い人に批判派が多かったと言う事でした。
どちらかというと、服装に対してというより、その後の記者会見の態度が彼らの怒りに触れたようでした。
いやぁみなさん! おおいに激論を戦わせようではありませんかっ!!!
また今週もあかし村に行けませんでした・・・・
だめですね~、ほんとサボリ癖が付いてしまって、いつもなら週末には気が付いたらあかし村に居るといった具合でしたが、寒さのせいか、年のせいか、いずれにせよもう少し暖かくなってエンジンが自然にかかるのを待ちましょう。
今日は建国記念の日、初めて知ったんですが建国記念日ではなく、建国記念の日なんだそうです。
諸説あるものの初代神武天皇が即位した事をこの国の起源とし、祭日を設けたようです。
そんな大昔の事はちょっと置いといて、もっと身近な初めての物が販売された記念すべき日なのでご紹介したいと思います。
その記念すべき物と言うのは“グリコ”
あの、ひと粒300メートルでお馴染みのおまけ付きキャラメルです。
何年前かは聞きそびれましたが、それまで森永と明治の独占されていたキャラメル市場へ新規参入しました。
漁師が食べていた牡蠣鍋の煮汁を捨てていたのを見て、その煮汁を貰い受け、どこかの大学に持ち込み調べてもらった所、その煮汁には栄養価がたっぷりのグリコーゲンが含まれていることがわかり、当初は薬として販売するつもりでしたが、調べた大学教授の“治療よりも予防が大事”の一言で栄養菓子としてキャラメルに混入し販売する事にしたそうです。
が、今度はその販売をしてくれるお店が見つからず、当時大阪の三越に頼み込み、再三断られたようですが、味を見直し子供向けにし販売したそうです。
まさかの連続車ネタです。
何か時事ネタをと思ったのですが、朝青龍引退、旧石器時代の人骨発見とあまりに凄すぎるネタしかなかったので、ここはゆうさんらしく車ネタで行きましょう。
最初の写真は我が愛車アルファロメオのエンブレムです、左の赤十字はイタリアミラノの市章(元々はミラノ公国の国旗でもちろんアルファロメオはミラノを本拠地としています)と右は人を飲み込もうとする竜が描かれています。
これは、その昔サラセン人(イスラム教徒)からミラノを守ったビスコンティ家の紋章で、その事からもアルファがミラノのから愛される自動車メーカーである事がうかがい知れます。
アルファは“alfa”で表記され、“alpha”や“α”とは関係ありません。
その意味は
A.L.F.A. (Anonima Lombarda Fabbrica Automobili) 「ロンバルダ自動車製造株式会社」の頭文字です。
元々はアルファで始まり。まもなくして、経営危機に陥った同社を買い取ったニコラロメオに由来し、アルファロメオになりました。
そして戦後、最初のヒット作となったジュリエッタはアルファ・・ロメオ・ジュリエッタ、つまりイタリア語でのロミオとジュリエットとして名づけられたそうです。
さて、その隣の不細工な車は・・・といいますと、ゆうさんとアルファの最初の出会いであります。
小学生の頃通学路を歩く僕の後ろからそれこそ爆音を撒き散らしながら近づいてくる車があり、その音に驚き振り返るとまさかまさかのちっちゃい車が走り去っていきました。
それが最初の出会いでした。
これがあの“醜いアルファ”とあだ名されるジュリア1300TI である事を知るのはず~っと後の事であります。
連日報道されている北米でのトヨタ車の大量リコール、トヨタ株が急落する等、トヨタがこれまで経験した事の無いほどの窮地に追い込まれています。
実際北米で供給される部品に問題があったことは明白で、すぐにリコールしていればここまでの問題にはならなかったかもしれないと言う見方と、訴訟国家アメリカで自社の非を早々に認めることは最も危険な事でいたしかたないと見る向きもあるようです。
今回の件を見て、外国で物を作るということは本当に難しい事なんだと考えさせらてしまいます。
カンバン方式といわれ、外国にも紹介されるトヨタ独自のコスト管理技術をもってしてもこのような問題が起きたのですから。
カンバン方式とは、簡単に言うと、トヨタが寸法、重量、材質を事細かに指定した部品を要る数だけ、要る日に納入させる、これをどの業者にも一目で分かるよう看板で指示するという方式。
しかし、主張の強い国では何故自分の所で作った部品ではだめなのか、そこまでしなければらないのか等でよく揉めていたそうです。
かのトヨタもそのような揉め事に辟易として本意ではない部品を使用していたのでしょうか?
今回の騒動で日本国内向けの車には該当車がないという事はこういうところが絡んでいるからなのです。
しかし、今日の報道は流石の僕も驚きました。
全て日本国内で作られているプリウスのブレーキにも問題が生じたとの事、低速で走っている時、ブレーキが反応しない事があるらしく、渋滞路でその燃費の良さを売り物にしているプリウスにとって、致命的な欠陥であると言えます。
こんな事でこれまで築いてきた“品質のトヨタ”の看板を取り戻して欲しい、 頑張れトヨタ!
春夏冬二升五合
昔は居酒屋さんでよく見かけたモンですが、最近はめっきりなくなってしまいました。
で、とあるお店で見かけました。
やはり若い人には難しかったようで、お店の人とニヤニヤ笑ってしまいました。
まず、春夏秋冬の秋が無い事に気づかれました?
そう秋が無い、あきない、商い!
次に二升は昔、一升はマスで量っていました、それがふたつということで、ますます!!
最後に五合は一升の半分、つまり半升、はんじょう、繁盛!!!
商い益々繁盛!!!!
の語呂合わせなのです。
ホンと昔の人は粋ななぁ~と思いません?
今日は久々のクルマネタでごじゃります
皆さんはクルマのカタチの呼び方ってどれぐらいご存知ですか?
最近はやりのミニバン、SUV、以外にセダン、クーペ、ハッチバック、ワゴン、これにオープンカーのカブリオレくらいでしょうか?
この呼び方が何種類あるのか実はゆうさんも数えた事が有りません。
たとえば、我が愛車アルファ156が分類される、セダンだけをとっても国によってセダン(米)、サルーン(英)、リムジン(独)、ベルリーヌ(仏)、ベルリーナ(伊)、日本ではドアの窓枠を持たない車を特別にハードトップと呼んでいた時期もありました。
でもこれは国語の問題ジャン? と言われそうなので、次に紹介するものは少し面白いので “みんな寝ずに読んでね!”
オープンカーというのはどの国でも昔から好まれていて、その思い入れを強く表されています。
先ずオープンカーの中でも高級なクルマを表す言葉にコンバーティブル、特に2人乗りのジャグワとか、コーヴェット等のアメ車が好んで使っていて、分厚い布地のソフトトップが定番です。
スポーツカーに関してはいろいろありすぎて、羅列だけになりますが、ロードスター(最も軽い部類のスポーツカー)、スパイダー(屋根の張りがクモの巣に見える事から)、スピードスター(ポルシェが使った)、バルケッタ(伊語で小船の意)、カブリオレ(小型のクルマに使われた)、これに屋根だけが取れるタルガ、4人乗りのクルマはフェートンと区別されます。
変わった所ではロールスロイスに前席の屋根だけが無いセダンカクーペなんてのがあり、これは馬車の頃の名残で後ろに乗るお金持ちは屋根付きのファブリック調の椅子に掛け、馬を操る人が座る所には屋根も無く薄い革がしいてあるだけの馬車を連想して作られたものらしいです。
同じオープンカーではありますが、各々主張がハッキリした車が多いですね、アルファに乗る前のゆうさんの愛車はユーノスロードスター、1991年ごろ買ったように思います。途中で緑から黄色に塗り替えて、約13年ほど乗りました。
今思ってもイイクルマでした。
ちょっとお茶しませんか?
と言われて、想像する飲み物は何ですか?
僕は迷わず珈琲です。
書き方には、コーヒー、cofee、cafe、それに、おコーヒー、といろいろありますが、真夏でもhotを好んで注文する僕としては珈琲が一番しっくりきます。
お好きな方はご存知でしょうが、いろいろな産地の豆をミックスしたブレンドと、一種類だけを挽いて飲むストレートなんてのがありますが、僕は専らストレートコーヒーを好みます。
どちらかと言えば苦味やコクが強いものより舌の先がキュッと刺激されるような酸味のあるものが好きですね。
銘柄で言うとキューバSHやキリマンジャロ、それとサントスニブラ、でも最近はいろいろな豆を置く喫茶店(昔は純喫茶なんて看板が出ていました)が無くなってしまいましたね。
大好きなフェラーリやマセラーティー、もちろんアルファの古い写真集を眺めながら熱~い珈琲を頂きたいもんでございます
1995年1月17日 午前5時46分
兵庫県南東部地震発生、死者6,434人。
この数字は別に資料を見直したわけではなく、覚えてしまった数字です。
当時新大阪に勤めていたゆうさんはもうすぐ起きなあかんな~と布団の中でグズグズしていました、そこへ轟音と共に大きな振幅の地震、それはそれは長く感じました。
地震後しばらくして停電、水は出たのですが、何か胸騒ぎがあり、お風呂いっぱいに水をためておきました。
案の定、マンションのタンク内にあった水が出ただけでやはりしばらくは断水してたので、水は本当に助かりました。
1週間の自宅待機後初めて大阪へ向かうのに選んだ方法は淡路の津名経由で大阪港に入るルートで、半日かかってようやくたどり着きました。
しばらくは月、火と木、金の会社に泊まりながら仕事をしていました。(水曜日休みをくれていました)
一番長く使った通勤ルートは魚住→加古川→(加古川線)→谷川→(福知山線)→大阪で、これでも3時間、でも当時は確実に4時間かかっていました。
三宮~住吉間のバス代行運転が軌道に乗り始める頃、通勤もそれに代えて、徐々に代行区間が短くなっていく事に復旧を実感したものです。
バス停まで歩く距離が結構あったのですが、その時でも灘のあたりは瓦礫の山で大きなコンクリート塊を踏み分けて通ってましたね。
でもね、当時思い返すとみんな、本当にやさしくなれていたと思います、重い荷物を持って階段を昇ってる人を見つけたら、誰からとも無く、声をかけて手伝ってました。
とても自然に、みんなでがんばろうな!という気持ちでいっぱいだったように思えます。
今日を機会にあんな事が無くてもお互い思い合える世の中にしたいものです。
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